りつの備忘録

推しをながーく愛でる用。

「我らは尊い」~ラーゲリより愛を込めて~

この冬絶対に観たかった1本、『ラーゲリより愛を込めて』を観てきました。

とてもじゃないけれど抱えきれない物語。

反戦とか、お涙ちょうだいとか、そんな域にはおさまらない。

今この時代を生きる全ての人に「ちっちゃな希望」を灯す、そんな映画。

ここで語らせてください。

 

 

「生きる」とは

…でけー!初っ端からタイトルがでけーのよ。

こんな言葉でしか表現できない自分が憎いですが、本当にこれに尽きる。

 

「生きるのをやめないでください」

 

予告でも何度も使われていた山本さんのこの言葉。

本編では松田さんにあてたものではなくて、原さんにあてたもの。

自分がずっと尊敬してきた、その大きな背中を追ってきた人に、ひどく裏切られる。

その人にかけた言葉がこれです。

 

山本さんの「生きる」は、松田さんの言う「山本さんのような生き方」は、

ただ命を捨てずに生きることじゃない。

自分の美しいと思うものを信じ、正しいと思うように行動し、

そして好きだと思うものをまっすぐに愛する。

そんな命+αを、「生きる」と呼ぶのだろうと思います。

 

 

「人と」生きるということ

そんな生き方を実践するのに欠かせないのが、「人」の存在。

この物語には、人間らしい愛憎をもった人がたくさん登場します。

 

その中でも「人」らしすぎるのが、中島健人さん演じる新谷健雄さん。

通称・しんちゃん。

 

この映画を観る前、ひとつだけ懸念していたのは、

山本さんだけが報われない映画じゃないといいなぁ…でした。

山本さんが人々に希望を与えるだけ与えて、だけど結局は絶望の淵に立たされる。

…そんなの観れないじゃん!堪えられないじゃん!無理じゃん!!!(大声)

 

でも、実際は違いました。

もうお気づきですね、しんちゃんはヒーローです。

 

人々に希望を与え続けた山本さんにも、「生きる」ことをやめる時期があるんです。

敬愛する原さんに裏切られたことを知った後、

目の前で倒れる仲間に手を差し伸べることも、季節や自然を感じることもやめた。

 

そんな山本さんに、

クロを通して命の温かさを伝え、

シベリアの空を通して大事な人を思い出させ、

文字の勉強を通して「生きる」ことを取り戻させる。

それがしんちゃんでした。

 

主人公だからといって与え続けるだけじゃない。

ひとりの人間として、与え与えられ、支え支えられて、生きている。

それだけで山本さんという人が、この映画が、今の私たちにぐっと近づく気がします。

 

 

「知る」ということ

ラーゲリで暮らす人々は、多くのことを「知りすぎた」人々でした。

 

目の前で戦友が亡くなる瞬間と、そこから逃げること。

罪のない人を殺さなければならない瞬間と、それに耐えるために人間を捨てること。

人を率いてきた時間と、それが反転した時間と、逃れるためにつく嘘。

 

「知りすぎた」人は、目を背けることでしか、生きていくことができない。

映画の前半、「知る」ことは怖いこと、不必要なことに思えます。

 

だけどそこに、唯一の「何も知らない」人・しんちゃんが現れます。

生まれつき足が悪く、戦闘には参加していない。学校にも通っていない。

戦地での人の醜さを知らず、深く感じ考えるための知識もない人です。

 

そんなしんちゃんは山本さんに、文字を教えてほしいと頼みます。

文字を知り、俳句という文化を知り、自分の見たもの・感じたことを表現する。

今度はしんちゃんが、ラーゲリで暮らす他の人々にその文化をつなぐ。

人々が、言葉を通して、俳句を通して、つながっていく。

 

知れば知るほど見えなくなるものもあるけれど、

しんちゃんの「知る」はしんちゃんにとっても人々にとっても希望になる。

「知る」ことは怖いことじゃない。「生きる」ために不可欠なことだと思います。

 

 

さぁ、「尊く」あろうよ。

結びは、この物語を彩る主題歌・Soranjiについて。

私はこのタイトルに2つの意味をみました。

 

ひとつは「諳んじる」。

何も見ないで言えるようになること、です。

 

「頭の中で考えたことは、誰にも奪えない」

この山本さんの言葉がなかったら、しんちゃんが文字を習っていなかったら、

そもそも出会っていなかったら。

 

もちろん、諳んじなくて済むなら、それが一番よかった。

会いたい人と自分とどちらも生きていて、顔を見て伝えられるなら、それが一番いい。

だけどそれが叶わないとき。

会いたい人がもういなかったら。自分の身に万が一があったら。

 

…いや。それが叶わなくても。

会いたい人がもういなくても。自分の身に万が一があっても。

諳んじたその言葉は、人と人をつなぎ、ある人の悔いを昇華し、想いを届ける。

諳んじた誰かが重なることで、直接伝えるのとは違う意味と価値を持つ。

「諳んじる」ことは、きっとひとつの希望です。

 

どの「諳んじ」もぐっと来たけど、個人的に優勝は提案者のあの人。

要望通り笑顔で諳んじたあの人の、目を瞑った瞬間の涙。

苦しくて見たくないのに聞きたくないのに、引き込まれてしまう。

本当に素敵な俳優さんだと思いました。

 

もうひとつは、「空」が「暗示する」。

山本さんが「生きる」ことを思い出すのも。

山本さんの旅立ちを人々が感じるのも。

今を生きる山本さんの長男が大一番で想うのも。

全て「空」です。

 

今この瞬間も、同じ空の下にいろんな人生がある。

ここ数年、様々な事情で断絶してしまったことも多いけれど。

どこかで、どうにか、ちゃんと、つながってる。

だから、ちゃんと伝わる。

そんなメッセージだと思いました。

 

ラストのあの描写が、今この映画をやる意義なんだろうなぁと。

自分自身の失ったものを思い出して泣けて泣けてしかたなかったけれど、

忘れてしまうよりずっといいと思いました。

知ることができて、感情があって、生きていてよかったと思いました。

 

 

「汚れながら泳ぐ生の中で 

まあよくぞここまで大事にして 抱えてこれましたね」

 

「この世が終わるその日に 明日の予定を立てよう

そうやって生きて、生きてみよう。」

 

人と関わることも、知ることも、怖いことじゃない。

感情と正義と道義を、大事に抱えて。

そうやって生きてみよう。

そんな我らはきっと。

とてもとても尊いはずだから。

 

 

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